一心。
このサイトを赤倉でご活躍した全てのゴミソ達と太田文雄氏に捧げます。
合掌。

岩木山の南に面する岩木山神社から岩木山環状道路を北に進むと赤倉と呼ばれる霊場に行きつきます。岩木山は三峰(岩木山、鳥海山、巖鬼山)からなる独立峰であり津軽のどこからでも眺めることが出来ます。赤倉とは巖鬼山の通称として津軽の民に古くから呼ばれてきました。現在は岩木山の登山コースの一つの「赤倉コース」として認知はされているものの、この赤倉コース上に連なる霊堂の数々は一体何なのか理解するものは少なくなってきている。この赤倉霊場の多くの霊堂で祀られている神様は赤倉大神(赤倉大権現)と呼ばれる鬼神様である。他にも赤倉龍神や赤倉信仰独自の様々な神様が祀られている。そして赤倉のほとんどの霊堂はゴミソ、カミサマと呼ばれる拝み屋や霊能力を開花させた者たちにより建立されているシャーマニズム要素の強い津軽独特の霊場である。お寺様の寺院も数箇所存在してる。恐山や川倉賽乃河原地蔵尊堂をイタコの聖地とするなら、ゴミソ、カミサマの聖地は間違いなく赤倉霊場である。その昔は信者達と共に各霊堂で篭り修行を行う様子が赤倉のそこかしこで見ることができましたが、現在は人の姿を見ることも少なくなってしまっている。イタコに然り、拝み屋とは基本一代限りのものであり、栄華を極めた赤倉霊場も教祖や拝み屋の高齢化の為、亡くなった者や山を下りた方が多く、現在は信者として訪れる者も減少している。赤倉大神は元禄十四年(1701年)に書かれた「岩木山百沢寺光明院(現岩木山神社)縁起」の中にも記載されており、古くからの信仰の歴史を垣間見ることが出来る。有名なものでは赤倉を降りたところにある鬼沢という村の鬼神社は古い由緒をもち、今尚鬼神信仰のメッカとなっている。この鬼神社で祀られている鬼神様も赤倉で祀られている神様と同様であります。

当会は赤倉山(巖鬼山)に点在する、もしくはしていた霊堂で祀られてきた赤倉の神様、赤倉霊場の歴史と信仰を後世に残す為に組織されました。赤倉霊場は一部の神社、寺院を除いて多くの霊堂は現在衰退の一途を辿り、年月を追うごとに霊堂が次々と姿を消しつつあり、その歴史も人々の記憶から遠ざかりつつあります。赤倉とはなにか、岩木山の歴史と合わせて今一度皆様と共に考える機会をこのサイトを通じて設ける場となることを切に願います。

令和二年九月二十八日 赤倉霊場崇敬会 会長
鬼隠山海龍


◎新着情報

●2024/8/6

・菊乃道神道教社のページに「菊の道赤倉神社修業祝詞」を掲載しました。

●2024/7/28

・赤倉山神社(鼻和堂)のページに「赤倉詞」を掲載しました。


お問い合せ

崇敬会役員

◎会長

鬼隠山 海龍 Kiinzan Kairyu

昭和六十二年十月二十五日。青森県青森市生。

 ●西国三十三観音霊場 先達

 ●津軽八十八ヶ所霊場推進会 会長

 ●津軽三十三観音霊場推進会 会長

 ●映画「津軽のカマリ」取材協力

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 ●四国八十八ヶ所霊場 結願(2巡)

 ●日本百観音霊場 結願(西国、坂東、秩父)

 ●東北三十六不動尊霊場 結願

 ●越後三十三観音霊場 結願

鬼とされ

隠され続け

山の雲を

海とするしかなった

龍こそ鬼神そのものである


◎HP作成に際して参考にさせていただいた書籍

●「津軽の荒吐神伝承と赤倉信仰」

  青森県文芸協会出版部 1994年4月23日発行

 昭和7年11月13日 青森県北津軽郡板柳町に生まれる。

 昭和20年3月29日 青森県北津軽郡六郷村胡桃舘国民学校初等科卒業。

 昭和22年3月29日 青森県北津軽郡六郷村胡桃舘国民学校高等科卒業。

 昭和24年3月5日 私立東奥儀塾中等部卒業。

 昭和27年3月13日 県立弘前中央高等学校卒業。

 昭和29年4月 青森県北津軽郡武田村立長泥小学校で教鞭をとる。その後、昭和46年3月まで共栄分校をはじめ教校の分校に勤務。

 昭和46年4月 青森県西津軽郡森田村立森田小学校に赴任(校長豊島勝蔵)。

 昭和53年5月 森田村誌編纂委員を委嘱される。

 昭和56年4月 青森県五所川原市飯詰小学校に赴任。この頃、五所川原市文化財保護指導員を委嘱される。また、北奥文化研究会の事務局長として会の運営を一手に引き受ける。

 昭和60年10月 「五所川原市史」(津軽書房)共著。

 昭和61年4月 青森県五所川原市栄小学校へ赴任。

 昭和63年9月 「津軽の人物伝承~北に生きる日本史の末裔たち」(文芸協会出版)。

 平成1年4月23日 心筋梗塞のため死去。行年56才。

・太田文雄 略年譜


◎赤倉信仰に関する書籍