大石神社

◎所在地

〒036-1203 青森県弘前市

大石神社上宮

◎御由緒

●大石神社縁起案内板より。
往古桓武天皇の延暦十九年征夷大将軍坂上田村麿東夷勘定の時当山の霊験を蒙りしにより十腰内に下居宮を建立、当時当社は岩木山登拝口にて、巨石丈余の者三四併立神体石にて土人群集登山の安全を祈願せり。
堀川天皇の寛治五年十腰内の下居宮は壱百の渓潤を越せる土地即ち百沢に遷され跡地の社堂は岩木山三所大権現の内一社巖鬼山西方寺観音院として俸禄百石赤倉沢を検行し巨石大明神の信仰弥高まりたり。
1. 寛正五年大浦信濃守信代巖鬼山西方寺観音院の古佛再興。神官 長見孫太夫
1. 慶長十七年津軽家二代藩主越中守信牧公赤倉山御祈願所として大石明神を観請
爾来津軽一円の信仰を集め御霊験現妙
子授けの神、安産の神として信仰高し
1. 元禄五年、広須組木造組衆当社に風雨順時を祈りて感應新なりて社堂再建し数百年来悉く崇敬堂社破損等の節、氏子中に不拘の再興致し来たりと
1. 正徳五年六月津軽藩主不例の砌、霊験のことあり、為に吉田家より「神明号」御下し「大石明神」と崇む。
1. 享保四年 旧領主従五位下津軽信重再建
1. 宝暦八年再建、弘化七年修覆、明治九年再建、村社列格、合祭直願
●小舘衷三「岩木山の山岳信仰」より。
岩木山の各登山道には姥石、大黒石、二神石、大石と名づけられた石があるが、代表は赤倉コースの大石神社の大石である。 この大石を御神体とする神社は非常に厚く信仰され、里宮としては大森に大石神社があり、『津軽俗説選』には、「北の半服に大石社あり……」、『津軽一統志』には、「大石大明神、岩木山の東北の腰、本地十一面観音、別当岩木山百沢寺」とあり、また「岩木山考」には「大石大明神、或いは千引明社とも云う」とあって、古くから著名な神社であった。 菅江真澄が岩木登山の折に参詣している。 伊弉諾・伊弉冊命の伝説で、霊界と俗界の境である黄泉平坂の穴を大石で塞いだ故事から、大石を千引明神として祭るようになったが、岩木山の赤倉が霊界であるので、この大石のあるところが俗界との境界を意味している。
●「青森県神社庁公式サイト」より。
祭神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、神皇産霊神(カミムスビノカミ)である。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、両神が対になって男女の「むすび」を象徴する神であると考えられることから、大石神社が子授けの神、安産の神として古くから信仰される神社であったと思われます。
慶長年間(1596~1615)に、津軽為信が十一面観音を勧請したことに始まると言われている(貞享4年検地水帳では慶長17年(1612年)に津軽信枚が十一面観音を勧請したのがはじまりとされている)。別当は百沢(ひゃくたく)寺で、荒廃していたのを正徳五年(1715)に村民によって再興され、同年に京都の吉田家から明神号を与えられ大石大明神となった。享保四年(1719)五代藩主津軽信寿が再建された。縁結びの神とされているが、菅江真澄の「外浜奇勝」によると、「野中に松の一郡たてるは大石明神とて、御前に大なるふし岩、たち岩のあるあはひに、石割松、いしわり杉の生たり。その大杉の下枝に紙をひしひしと結び付けたり。こは乳の乏しき女の願ひ、はた、懸想しける願ひもありて、おもひあふいもとせのなかのいく世を、杉のもとつ葉の、かはらぬ験をうるとなん」とある。御神体は巨石であり、岩木山登拝口の赤倉山霊界との境界石とも言われている。

◎大鳥居

昭和54年2月16日。「赤倉山神社を開いて60年目なったら、大石神社を宿にして赤倉の神が世に出ることができたお礼として、大石神社の前に大鳥居を建てなさい」と、瑞穂教赤倉山神社の親神様(開祖である工藤むら)からのお告げがあり、昭和55年大鳥居の建立に取り掛かる。

◎御祭神

●神仏分離令以降からの御祭神
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
神産巣日神(カミムスビノカミ)
※地元民からは「大石様」「大石大神」と呼称されている。


●神仏分離令以前の御祭神
巖鬼山大権現(本地仏 十一面観世音菩薩。垂迹 国安瓊姫命)
※神仏判然令以前は「大石明神」「千引明社」「千引大明神」として呼ばれ人々から信仰された。

◎末社

龍神堂

◎大石神社中宮

〒036-1203 青森県弘前市大字大森勝山264−1

◎大石神社下宮

大石神社縁起案内板には「第三大区小区大森貝沢両村産土大石神の儀は山中故大石神社下宮江神体安置し無別崇敬仕来得候」とあり。
〒036-1203 青森県弘前市大字大森勝山