※掲載写真は令和2年6月17日と22日。10月5日の登拝時のものです。


田舎館堂の奥にある登山コースに沿って急な坂道を登りきると、第一番観音の前に出る。御生車、地蔵菩薩尊もたっている。

後は一本道、三十三観音を辿って行くと、頂上の赤倉山(巖鬼山)に達する。大人の足で4時間程かかろうか。観音様には番号と一緒に寄進した信者の名前と住所が一つ毎に刻まれている。

第十番観音で「伯母石」(姥石)と呼ばれる注連縄をまわした大きな三角石の前に出る(現在は注連縄奉納はされていないようである)。伯母石の下は積み重ねた石の間が隙間になっていて、その隙間の穴を楽に潜り抜けることができると「山がけが楽だ」とか「この世の穢れが洗い清められる」と言われ、大抵の信者はこれを潜ったという。2mもあろうか、その穴を潜り抜けると、第十一番観音の前に出る。かつては名前、生年月日、年齢を記した祈願札がたくさん奉納されてあったという。姥石は、安寿と厨子王丸の、安寿の乳母がお供をしてきて、ここで石になったのだという伝説がある。また、登山者はここへタスキをかけて安全の祈願をしていたそうだ。その昔、岩木山は女性の入山が禁止されていた時代あったが、姥石までの入山は黙認されていた。女性はここから岩木山を拝んだのである。

伯母石の左手の登山道に進むと5分もしないで「鬼の庭」(姥石の壷)の岩場へ出る。大きな岩が累々と重なっている。途中にもどこかの人が建てたというお堂があったが、ここは弘法大師、山の神、赤倉大権現の石像、あるいはお堂がたくさん建っている。

一時間半くらい歩くと、見晴らしのよい「鬼の土俵」へ着く。第十六番と第十七番観音が建っている。山の神、あるいは鬼神が相撲をとる場所だと言われている。そこは本当の相撲の土俵ぐらいの広さで、丸く平らな場所になっている。まわりには観音様はもちろん、弘法大師、山の神、石神の石像、また、かつてはお堂がいくも建っていた。ここから不動の滝への道も通じていたとのことだが、現在はその道が現存するか不明である。

第二十二番~第二十四番観音の所で「大開き」と呼ぶ、赤倉沢の崖、銚子の口が一目で見下ろせる場所に出る。何故かは知らないが、別称として「宝の倉前」とも呼ばれている。

第二十八番観音が赤倉山(巖鬼山)である。そこから、「銚子の口」の上、馬の骨のような尾根を通って「八十八ヶ所」へ行くのであるが、風の強い日には、まともに立ってもいられないような所で、滑落の危険が大きく伴う非常に危険な道であるので注意してほしい。「八十八ヶ所」への道筋には「雷電社」「万月の御倉」がある。

左へ向かうと聖観音像と赤倉大権現の石碑があり、現在ここが赤倉山(巖鬼山)頂上と一般には認知されてる。石碑の更に奥の道に進むと岩木山山頂へと通じている。