赤倉山神一大秘事

実は太田大神こと永助様には、同じ種市村出身の長子と言う名の妻と、妻との間に曽太次郎と言う名の息子が居たと言う。
抑も、永助様と妻の長子は同村出身で、且つ家がお向かい同士で、所謂幼馴染であった。
後に恋仲になった永助様と長子は結ばれて結婚し、夫婦になった。
その後、無事に息子が授かったが、後にその息子が後に太田松衛の父上となり、その子孫が種市神社の別当職を世襲する事となる。
それから月日は過ぎ、永助様が赤倉山に飛んで行く時の話だが、秋の時期、秋の空の下、田の稲穂が黄金色に輝く時。
永助様、いざ赤倉山に飛んで行くことになったが、だがその前に、最後に妻の長子にお逢いになった。
その時、妻の長子の手を両手で握って、赤倉山に飛んで行くと一言告げた。
またその時に、妻の長子と息子の曽太次郎に“家と財産”を渡すと告げたその後、永助様は赤倉山に向かって飛んでいったと言う。
永助様が赤倉山に飛んで行ったその後の話だが、妻の長子は永助様の兄上で長男の松五郎の妻と言うになったが、実は永助様の妻なのである。
それと同時に息子の曽太次郎は兄上の息子とされたが、実は永助様の息子なのである。
それ故に、永助様は息子たる曽太次郎宛に文をしたためて種市のご実家に送ったり、また石川の大聖寺に曽太次郎を呼び出し、後に太田家の宝物となる巻物を授ける。