赤倉山大本殿(赤倉山宝泉院)

◎所在地

〒036-1343 青森県弘前市大字百沢東岩木山1−48

鬼神宮赤倉山宝泉院跡赤倉山大本殿(曹洞宗大源派 赤倉山宝泉院)

赤倉山宝泉院は弘前の茂森にある禅林寺町にある寺院であり、赤倉にある霊堂はこの寺院の奥之院(大本殿)となっている。宝泉院ははるか昔に赤倉の今の場所にあったと伝えられる。1000年以上も昔の礎石もあったと言われる。いつの頃からかは定かではないが、鬼沢村(現弘前市)に移り、後に慶長年間(1596年~)に禅林三十三カ寺の一つとして現在地に移されたものである。開基は約1200年前の大同2年(807年)に坂上田村麻呂が勅使をお迎えして社殿を建立したと伝えられている。弘前移転後は、隣松寺三世の月寒雲鶴和尚が勧請開山したという。御祭神の赤倉山鬼神大神大権現は、赤倉大神とか赤倉様、鬼神様とも呼ばれ、鬼沢の鬼神社の御祭神である鬼神様と同じ神様である。延暦14年(795年)に坂上田村麻呂がみちのくの盗賊を征伐にやってきたが、手強い敵に大苦戦した。その時、夢の中で白髪の仙人が枕元に立ち、右手に卍字の旗、左手に黒鉄の棒を持って現れ、「なんぞ怖るることなかれ、我こそ山奥に居る赤倉岳の仙人なり。妖怪魍魎猛獣をことごとく退治せしむるを祈願し、農民を安堵せしくるなり。何時怖れず退治せよ。赤倉岳に一字の坊舎を建て鎮守となし、毎月29日を縁日として、法会を正、5、9月の29日厳修せよ。しかれば、我、中風、悪病退散を祈念し、万民に利益を与えるなり」といって戦術を授けた。この神霊によって、田村麻呂は盗賊を平定した。それで一宇のお堂を建て木像の御神体を安置した。この神夢の仙人が赤倉大権現ではないかと言われている。別にまた、その赤倉に住む鬼は人から恐れられていたが、本当は優しい鬼で、鬼沢の弥十郎とケヤグ(親友)になり、相撲をとったり農作業の手伝いをしてくれた。鬼は田の水に困る農民の人の為に、一夜の間に用水堰を掘ってくれた。今でも鬼沢の逆堰として残っている有名な堰である。その堰の水の源が赤倉の銚子の滝なので、宝の泉と呼び、寺もまた宝泉院と呼ばれた。一方鬼沢では鬼神社を建て鬼を祀った。田村麻呂が夢で見た仙人(赤倉大権現)の姿を津軽藩のお抱え絵師、外崎鶴幼(徳川時代末期)が描いたといわれる掛軸(142×50㎝)が寺宝として残っている。また、鎌倉時代の作だと伝えられている大きな鬼の面(56㎝)もある。この他に「赤倉山大権現縁起」一巻、「赤倉大権現本尊御木像(43㎝)」「赤倉山祈祷秘法切紙」「鬼神宮御祈祷之札」版木5点(文政癸未6年7月吉日、文久元辛酉(1861年)5月29日)、「鬼木彫」(徳川時代、高さ24㎝)、「仁王木彫」(恵心作、高さ6㎝)等、赤倉山関係の宝物が16点伝えられている。赤倉に大本殿が建てられた時、見事な三重塔も建てられた。そのきらびやかな三重塔の前には一本の木標がたっていた。それには「僧源海両界大日石像彫刻之霊地」と書かれ、「宝暦3年(1753年)、恐山の僧源海赤倉の霊沢に入り三昧の行を積み、3年の歳月をもって座高4尺余台座7尺余の大日尊の石像を彫刻す。恐山に運ぶ途中弘前百田の地に至って動かず、依って百田便心寺に鎮座す、赤倉の霊顕というべし、茲の以て標を建つ」と説明している。宝泉院の和尚が40才頃に体が悪くて工藤むらの赤倉山神社へお参りに行った。その時に「先祖の霊は赤倉に関係がある。その先祖を粗末にしているから先祖の供養を続けるように」と言われ、それから8年間の供養を続けた。赤倉の霊地と銚子の滝、赤倉の登拝修行も続けて、やっと体もよくなった。工藤むらからは「神の信仰をしても、信者のために供養堂を建てて守ってやれ」とも言われた。それで工藤むらは自分の赤倉山神社の奥之院の建っている土地(現在、赤倉山大本殿の場所)を宝泉院に譲った。昭和36年のことである。そして昭和38年には信者たちの手で奥之院を下に下ろした(現在の赤倉山神社の奥之院がそれである)。また、神兵五郎(赤倉山神社2代目神サダの夫)は、供養堂を建てるために、信者の協力を求めて北海道までも廻り、集まった寄金を宝泉院に届けてくれた。宝泉院では昭和39年9月、大工3人で赤倉山神社を宿舎にして工事に着手した。昭和40年8月29日には拝殿が竣工、盛大な落成式を催した。落成式の神事は須藤フジが司り、須藤はそのまま、この霊堂を守っていた。昭和41年須藤は三重塔の運営のことで和尚と意見が合わず、宝泉院を離れて独立し、菊乃道神道教社を設立した。その後は須藤の弟子の成田(撫牛子出身)が霊堂を守っていた。宝泉院は現在お寺であるが、昔は神社としての面がつよかったのか、御祈祷版木には「鬼神宮」とあり、「切り紙(口伝や相伝)秘伝」には、開山以来のものとして「柏手」を打つことが取り入れられている。曹洞宗大源派の寺院として柏手を打つところは宝泉院だけだという。現在の状況について話を伺ったところ、今は大祭でも参列する信者も減り、お布施も少なく赤倉山のお堂を維持していくのは金銭的に難しくなってきているとのことである。

◎赤倉山大本殿初代斎主

宝泉院三十四世
 鴻嶽一憲大和尚

◎建立月日

昭和36年8月7日(営林署貸付日)
昭和40年8月29日建立

◎御本尊

釈迦如来
薬師如来
金剛不動大明王
聖観世音菩薩
弘法大師

◎御祭神

卍赤倉山鬼神大神大権現
錫杖龍神大龍王
庚申大神(猿田彦大神)
月読大神

◎年間行事

新春祈祷 1月29日(施:宝泉院)
山開き祈祷法要 6月上旬(赤倉山大本殿)
大祭祈祷法要 8月28日~29日(赤倉山大本殿)
山納祈祷法要 10月28日~29日(赤倉山大本殿)

◎月分行事

毎月29日、宝泉院にて祈祷法要
(合格祈願、交通安全、身体健康、他)

◎里の本坊

赤倉山宝泉院
〒036-8273 青森県弘前市大字西茂森2丁目10−1

◎お問い合わせ