矢沢堂(新谷万作神社)

◎所在地

〒036-1343 青森県弘前市大字百沢東岩木山

新谷万作神社 赤倉仙人堂

赤倉で「鼻和のバサマ」「矢沢のジサマ」と呼ばれていた「矢沢のジサマ」こと、新谷万作の霊堂である。鳥居の右側に「赤倉仙人堂」と刻んだ石碑と他に二つの石塔がある。左側には「大山彦江ノ神、赤倉に入ってから57年、青森県南津軽郡十二里町大字矢沢、新谷万作、日本萬歳、昭和20年6月18日建之」と刻んだ石碑が建てられている。霊堂には「奉納、新谷万作神社」と書かれた、素晴らしい木のコブの額がかけられている。その横には前の霊堂が、今は宿舎としてそのまま残されている。霊堂の後ろには、きれいなシツコ(清水)が湧き、周囲の霊堂の霊泉として大事にされている。また、宿舎の所にはいつも蛇がいたそうで、龍神様として大事にしていた。新谷万作は22歳の時に神様のお告げで赤倉山を登り、88才で亡くなるまで57年間、山で暮らした。最初は銚子の滝を住処とし修行をした。三本小屋を笹で覆い、ドボ(着物)を着て素足で山中を歩きまわったという。その間は工藤むらの赤倉山神社でいろいろな面でお世話になった。万作が亡くなってからは長女の「きね」が49才で後を継いだが、急性肺炎を患ってからは赤倉の霊堂には登って来れなくなった。それで次女の加我ウスエが霊堂を守っていた。北海道から埼玉県に移り住んでいたが、それからは赤倉に埼玉から出向き、5月~11月頃まで霊堂にいたという。埼玉の自宅には開祖新谷万作の写真と龍神様の写真を祀っていた。矢沢には大きな拝殿があり、旧5月17日の大祭は盛大に行われる。万作は写真を撮られるのをとても嫌がったそうだが、どうしてもという人には仕方なく撮らせた。しかし、万作が写されてもいいと思った人以外が写真を撮っても、何枚撮っても万作の姿は写らなかったという。

◎開祖

●新谷万作
出身地 青森県南津軽郡藤崎町大字矢沢
明治元年 (1869年) 生まれ。
昭和30年 (1955年) 3月12日没。


●二代目 三上きね(万作の長女)
出身地 青森県南津軽郡藤崎町大字矢沢


●三代目 加我ウスエ(万作の次女)
出身地 埼玉県

◎建立月日

昭和26年9月14日(営林署貸付日)
昭和3年頃建立(昭和11年頃建立ともいわれている)

◎御祭神

大山彦江ノ神(新谷万作)
赤倉大権現
龍神様

◎例大祭

旧5月17日

◎里の拝殿

青森県南津軽郡藤崎町矢沢

◎新谷万作に関するWEBページ

偕成社こんな本もありました(第1回) | Kaisei web | 偕成社のウェブマガジン

 偕成社は、今年創業81周年。 このあいだに、数多くの本が刊行されてきた。 そのなかには、時代を反映しながらも、いまとなっては、 すでに忘却のかなたとなった出版物も数多くある。 ここでは、そんな過去の作品から、「知られざる一品」を紹介していこう。 第1回目は、 『日本のくらし 行事と風俗』という本で、 「図説文庫」というシリーズの一冊である。 このシリーズは全44巻、その情報量はちょっとした百科事典なみだ。 奥付広告には、「一流専門家が数百の写真入りで興味深く平易に説く! 各A5判300頁、価350円」とある。 タイトルのつけ方も心憎いばかりで、 たとえば、 「動物奇談」。 奇談という言葉に胸躍るのはわたしだけだろうか。 あるいは、こういう書名もある。 「日本旅行」 「世界旅行」 「国内旅行」「海外旅行」ではなく、あえてこう表現することで、 ワクワク感はいやがうえにも盛り上がる。 さて、「日本のくらし 行事と風俗」だが、 「日本各地の生活風俗行事祭礼等を易しく語る」 とあるとおり、目次をみても、 「日本人の衣食住」とか 「日本人の一生」 「神仏のふしぎ」 といった見出しがならんでいる。 そのなかの「神秘な風俗」という章に 「今もいる仙人」というのがある。 そのページには、なんと写真入りで仙人が紹介されているのだ。 この仙人は青森県中津軽郡の赤倉山に住んでいる 「赤倉仙人」こと荒井万作さん(本名)。 彼の信者は、ふもとの村に百数十人いるという。 一部、本文を引用してみよう。 赤倉の仙人は、どうゆうわけで山に入ったのか、あまり話さず ただ、「若いころに、山の霊気にさそわれて、こもったのじゃ」と いうだけだそうです。 仙人は語尾に「じゃ」をつける。 赤倉仙人は、はだしのままでどんな山の中でも歩きます。 足のうらが、とても厚くかたくなっているので、 とげなどがささっても、血も出ないそうです。 また、どんな断崖絶壁でも、手のひらに唾をつけて ぴったりと岩や石にすいつき、すっすっすっとのぼってしまいます。 また、山の中を走る速さは、どんな青年も追いつけないほど 速いといわれていますし、声は雷のように大きいそうです。 すごいぞ、赤倉仙人。 そしてさらにおどろくべきは、彼の生活ぶりだ。 十二里村の実家には、この仙人の子どもが六人(男一人女五人)います。

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