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舟水堂
◎所在地
〒036-1343 青森県弘前市大字百沢東岩木山
舟水堂
開祖大瀬イガは
種市
の一番弟子で、当初弘前市にお堂があった。昭和二年に
種市堂
の背後に奥ノ院としてお堂を建てた。
種市堂
は本来霊堂の右半分が太田永助、左半分が大瀬イガと別れている。昭和10年頃に避難小屋としてお堂を建てたが、里の種市に神社があるので信者は赤倉へはあまり上がってこない。そこで弟子の大瀬が、ここを霊堂として預かり、守ることになったという。種市の永助を助けたと言われる八幡舘の畠山きよみという人、大瀬の他に、鶴田の笹森という弟子など、いろいろな人が当時いたようであるが、詳細は不明である。大瀬が亡くなってから、息子の妻が一時霊堂を守ってくれていたが、その後に東京と浪岡にも霊堂を建てたので、その往復で忙しい日々になったという。それで赤倉の霊堂は大瀬の娘である成田イネが守ることになった。また、種市でもほとんど霊堂へ登って来ないので、まとめて成田が留守番をしながら守ってたという。
◎開祖
●大瀬イガ
出身地 青森県弘前市大字船水
●二代目 成田イネ(イガの娘)
出身地 青森県南津軽郡田舎館村川部
◎建立月日
昭和24年9月2日(営林署貸付日)
昭和2年頃建立
◎御祭神
天照大神
赤倉山神(太田永助)
大山祇神
◎例大祭
旧8月18日~19日
◎里の拝殿
青森県青森市浪岡