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建石堂跡
建石堂
開祖木村シモは姉が鯵ケ沢の小森で赤倉大神を祀ってカミサマをしていた関係で自分も赤倉の信仰の道に入った。その頃に建石から五所川原へ嫁にいった人に神様が授かり、その神様を木村のところへ持ってやってきた。本来は木村はその神様を森田村の勝山の人に譲るつもりでいたそうだが、木村シモにうつってしまったそうだ。それで木村は
高谷
から免状をもらってカミサマになったのである。カミサマになった木村に赤倉の神様からお告げがあり、今の場所を授かり霊堂を建てた。親戚の米谷サヨ(二代目)の兄が鯵ケ沢の営林署に勤めていたが、そこの親方がある時、
大石神社
の上の方の道端にあるシツコ(霊泉)に御霊光が輝いているのを見て神様の住む場所だと思い、ここに霊堂を建てたらいいのに、と米谷サヨの兄に話したところであった。木村シモが亡くなってからは、自宅で神様を祀れる人がいないので、自宅祭壇の神様は全て赤倉の霊堂に移したという。米谷サヨは40才を過ぎてから人に誘われて木村の霊堂にお参りするようになった。おまいりするようになって、ある時、
赤倉山金剛寺
の蒔田の霊堂へお参りしたら、米谷の手の上で龍神様の鱗が跳ねた。手に神様を授かったのである。それで米谷は蒔田のところで免許をもらった。この頃は免許は
西の高野山弘法寺
か蒔田の
金剛寺
などで出していた。それから病気の人や夜泣きをする子供も米谷が撫でてやるとよくなり、夜泣きもピタリと止んだという。ある時、田んぼで働いていると、喉にとげが刺さって苦しんでいるからと急に頼まれたこともあったが、それも撫でてやるとすぐにとげが抜けたという。米谷サヨは20代の頃から神経痛で、床に入っても朝起きられない程苦しんでいた。結核で外を見ることもできなくなると言われたが、子供を12人授かり、信仰の道に入ってから神経痛も時々痛むだけになるほど回復した。床舞では家の中に神様を祀り拝んでいる。赤倉の霊堂には時々行き、大祭も日帰りで行っていたそうである。霊堂には行をする人が時々行っていたそうで、参詣者は、小森、中村、種里など、鯵ケ沢町の人が多かったそうだ。
◎開祖
●木村シモ
出身地 青森県西津軽群鯵ケ沢町大字建石
●二代目 米谷サヨ(シモの親戚)
出身地 青森県西津軽群森田村大字床舞
◎建立月日
昭和30年頃
◎御祭神
赤倉大神
龍神様
◎御本尊
弘法大師
不動明王
◎例大祭(現在は行われておりません)
8月28日
◎里の拝殿
青森県西津軽群森田村大字床舞
(自宅内の祭壇)