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山川堂
◎所在地
〒036-1343 青森県弘前市大字百沢東岩木山
山川堂(神道修成派)
山川堂は山川シヨが建てたもので、五所川原市新宮町に夫の壮五郎と2人で暮らしていた。家の中に小さな拝殿を設けてあるので、近くの人がお参りに来たりしていたという。山川堂は昭和24~5年頃に建てたが、昭和54年に大きく建て直した。霊堂は山川が老境に入ってから弟子の小野敬忠に譲り、山川の孫と2人で継がせていたという。山川夫妻は共に神道修成派の免許をもらっていて、7人の弟子を育てた。その1人が小野敬忠である。森田村の生き神様であった高杉ヒナも、山川の後で神道修成派の免許をもらったそうである。山川壮五郎は30才の頃から大日如来を信仰していて、長平の石神様へ行って、よく行をしたという。壮五郎夫妻には男の子ばかり3人子供がいたが、昭和10年代頃に末っ子の武作が急にいなくなってしまった。武作が12才になった年の旧8月28日であった。いくら探し回っても見つからなかったので悲しみながら諦めたという。武作が見えなくなって2年目に、見知らぬ人が家に訪ねてきて「武作様の着たものあったら譲ってください」と言った。訳を訪ねると「赤倉の沢で神様になっている武作様に教えられてきた」と言うのである。その人は体が悪いので赤倉の沢で行をしていると、見知らぬ人が現れて「私は五所川原市新宮の武作という者だが、種市の
永助様
に誘われて、ここへ来て神様になった。私の実家へ行って、私が着たものをもらって体をこすると、あなたの病気は治るから。それから私の親たちへ、十二山の神お供えを持ってカヤ萢の沢へ来るように伝えてくれ」と言うと、沢の奥へ去って行ってしまったと言うのである。山川はその話を信じられないままも、もう使うこともなくなった武作の着物をくれてやった。それから2週間して再びその人がやってきた。「武作様の着物でこすったら病気がすっかり治ってしまったので、明日は赤倉へお参りに行く」というので、山川も一緒に連れて行ってもらうことにした。赤倉のカヤ萢の所でお供えをすると、鷹が一羽飛んできて頭の上を3回廻った。龍神様や羽黒様は百年間人に見られないでいなければ神になれないというから、武作も鷹になって人の姿を見せないだろうと、山川は一人でそう思った。それから
鼻和堂
の工藤むらの世話になった際に、そこで行をしていた人が望遠鏡を持っていたので、その望遠鏡を借りてオンコ木の上から見ると、カヤ萢の大木の下に、白い着物を着た武作が座っているのが見えた。山川シヨはそれから信仰の道に入った。武作はその後も、行に入っている病気の人には時々姿を見せたという。山川シヨは最初、
相馬ヨシ
の相馬堂に4年間いた。相馬の所で修行する人は、厳しい修行のためになかなか一人前になれないが、山川は1年ぐらいで一人前になって、本部へ免許状を申請した。それから奥の方(現山川堂)へ霊堂を建てた。壮五郎は4年しか学校に行っていない身の上だったが、病人はどんな病気の人も治したという。頭の悪い人でも治した。重くなっている人は3年位かけて治した。1週間に何日かか、2週間に何日かと繰り返して行を続けさせながら治すのだという。山川の所では祭神として武作を祀っているが、霊堂背後の「山の大神 昭和15年旧9月28日成神」として祀られている。「山の大神」も武作と思われる。霊堂の中には武作の姿を額に入れて祀ってある。他に、赤倉大権現や大日如来、不動明王も祀っている。その後に霊堂を継いだ小野敬忠は高校二年生の時、山川の所へ来て行に入った。結核で3回も吐血し、3年も入院していたが、治らないで苦しんでいた時に、夢の中に武作様が出てきて「助けてあげるから来い」と言ったという。それで医師に相談してやってきたという。赤倉に来て、18才の時からシヨについて行をしながら、赤倉霊場を巡り歩いた。小野は青森市に拝殿があり、信者はそちらに集まるのが多いので、青森市の拝殿の祭礼を盛大にして、赤倉へは時々登って来ていたという。小野は
不動の滝
の方にも不動明王を祀った。現在は
不動の滝
へと進む道は砂防ダム建設の為に道の先へ進むことが出来ず、不動明王が今も存在しているかは不明である。また、木村キヨの
五所川原堂
もときどきお参りしてあげていたという。小野が後を継いだ後も、山川夫妻はときどき霊堂に登って来ていたという。
◎開祖
●山川武作
出身地 青森県五所川原町字錦町
●二代目 山川シヨ
出身地 青森県五所川原市新宮町
●三代目 小野敬忠
出身地 青森県青森市久須志1-10-4
◎建立月日
昭和34年10月15日(営林署貸付日)
昭和25年頃建立
◎御祭神
武作神(山の大神)
赤倉大権現
◎御本尊
大日如来
不動明王
◎例大祭
旧9月28日
◎里の拝殿
●青森県五所川原市新宮町(山川家自宅祭壇)
●青森県青森市(小野敬忠)